東京高等裁判所 平成2年(う)651号 判決 1991年9月11日
本店所在地
東京都渋谷区道玄坂二丁目一五番一号
松竹エンタープライズ株式会社
右代表者代表取締役
加藤嘉夫
本籍
東京都世田谷区上野毛四丁目七番
住居
同都同区上野毛四丁目七番二〇号
会社役員
加藤嘉夫
昭和二〇年四月一一日生
右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成二年四月二七日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らからそれぞれ控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官小野拓美出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決中被告人加藤嘉夫に関する部分を破棄する。
被告人加藤嘉夫を懲役一年二月に処する。
被告人松竹エンタープライズ株式会社の本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人俵谷利幸、同神宮壽雄、同五木田彬、同山田修連名の控訴趣意書(一)、控訴趣意書(二)、控訴趣意書(補充)及び控訴趣意書(再補充)と題する各書面に記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官小野拓美名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、要するに、被告人らに対する原判決の量刑はいずれも重過ぎて不当であり、殊に、被告人加藤嘉夫に対しては、その刑の執行を猶予するのが相当であるから、これらを破棄した上、妥当な判決を下されたい、というのである。
そこで、原審の記録及び証拠物を調査して検討するに、本件は、不動産の売買、仲介、賃貸などを目的とする被告人松竹エンタープライズ株式会社(以下「被告会社」という。)の代表者としてその業務全般を統括していた被告人加藤嘉夫(以下「被告人」という。)が、被告会社の業務に関し法人税を免れようと企て、不動産売上、仲介手数料収入、雑収入を除外し、支払仲介手数料を架空・水増計上するなどの方法により、所得金額又は課税土地譲渡利益金額を秘匿した上、被告会社の昭和五九年一〇月期から同六一年一〇月期までの三事業年度の実際所得金額の合計が一三億〇八七二万三五四四円、同六〇年一〇月期及び同六一年一〇月期の二事業年度の課税土地譲渡利益金額の合計が三億九二六八万円であつたのに、右三事業年度の所得金額の合計が四億七八五五万二五〇九円、右二事業年度の課税土地譲渡利益金額の合計が二億七九〇四万七〇〇〇円、以上に対する法人税額の合計が二億五四五四万一七〇〇円である旨、虚偽過少の確定申告書をそれぞれ提出して各納期限を徒過させ、もつて、不正の行為により、被告会社に対する正規の法人税額合計六億三六七三万二二〇〇円との差額合計三億八二一九万〇五〇〇円を免れた、という事案である。
右のとおり、本件は、三事業年度に亘り連続して敢行された巨額に上る法人税逋脱の事犯であり、所論にもかかわらず、平均約六〇パーセントの逋脱率は決して低いものとはいい得ない上、所得秘匿の手段・方法は、いわゆるB勘屋の利用等による売上除外、売上原価の架空・水増計上、仲介手数料収入の除外、支払仲介手数料の架空・水増計上、架空領収書発行による謝礼金収入の除外など、多岐に亘る複雑かつ巧妙なものであつて、その犯情は、全体として甚だ悪質というべきであり、犯行の動機も、被告会社の将来の事業資金を蓄積するというにあり、被告人個人の私欲のためでないとはいえ、所詮は私企業の利益を公益に優先させたものというほかなく、この種逋脱事犯において特に有利に酌むべき情状とは考えられないこと等に照らすと、被告会社及び被告人の刑責は、相当に重いものといわざるを得ない。
これに対し、所論は、被告会社及び被告人のため有利に斟酌すべき情状として、次の諸点を強調するので、以下、順次検討する。
第一に、所論は、「原判示第一ないし第三の各実際所得金額の中には、いわゆる『脱税経費』が合計四六〇〇万余円含まれているところ、脱税経費は税務行政上損金として認容されているのであつて、これを損金としない検察庁、裁判所の刑事手続上の取扱いは、同一の事実に対する国家の評価が区々に分かれている点で納得し難く、特に、総ての逋脱事犯に脱税経費が生じているとはいえず、脱税経費が生じたとしてもその割合が一定とはいい得ない以上、かかる刑事手続上の取扱いは、本件のように脱税経費の占める割合が高い事犯について著しく不利益で、公平を失し、法の下の平等に反すると共に、本来純粋に税務的・会計的な判断であるべき税額計算の場に脱税経費否認という処罰的要素を混入させて実際所得金額や逋脱税額を計算した上でこれを公訴提起や量刑の基礎とした場合には、脱税経費に関する限り二重処罰的な評価を下す結果となり、法的手続の正当性の保障を実質的に阻害するものがあるといわざるを得ない。したがつて、被告人らに対する量刑においては、機械的に脱税経費の損金性を否認した原判決の取扱いを改め、脱税経費を実際所得金額から除外すべきものである。」と主張する。
しかし、所論「脱税経費」は、当該収益を実現するために必要な「原価」、「費用」の類に当たらないことはいうまでもなく、既に取得した収益を税務当局の目から秘匿する手段として支出したものに過ぎない(換言すれば、脱税のための経費であつて、収益実現のための支出ではない)から、これが法人税法二二条一項所定の「損金」に当たらないこともまた自明の理としなければならない。そもそも法人税法が偽りその他不正の行為による法人税の逋脱を刑罰をもつて禁遏している以上、所得秘匿工作に直接向けられた金員の支出を「損金」と認めるが如きは、法人税法の自己否定ともいうべく、到底容認するを得ないところである。よしんば、所論の如く、税務当局において、所論「脱税経費」を損金として控除する取扱いをする向きがあつたとしても、到底これをもつて「公正妥当な会計慣行」とするに由なく、いわんや厳格な法令適用の場である刑事裁判において、たとえ量刑の事情としてもこれを斟酌すべきいわれはない。原判決に対する所論の批難は失当であつて、採用の限りでない。
第二に、所論は、「原判示第二及び第三の各逋脱金額の中には、租税特別措置法六三条一項により土地譲渡利益金額に対して課せられたいわゆる『土地重課』分が合計約二〇〇〇万円含まれているところ、土地重課は極めて技術的な計算手続によつて算出・課税されるものであるから、これに対する逋脱の認識は、通常の法人税に対する逋脱の認識と同列に論ずることを得ず、被告人においても土地重課分に対する逋脱の認識が希薄なものであつた点を量刑上十分考慮すべきである。」というのである。
しかし、租税特別措置法による土地譲渡利益金額に対する課税分も、法人税の一部を構成するものであつて、これが逋脱の違法性の強弱に何らの径庭はなく、これを犯意の面から考察しても、関係証拠によれば、被告人は、昭和四五年春ころから従業員として、同五二年一〇月以降は被告会社の代表者として、不動産関係の業務に携わつてきたことが認められ、いわゆる土地重課税制の趣旨・内容についても十分な知識と理解を有していたことが窺われるのであつて、被告人の土地重課に関する逋脱の認識と通常の法人税に関する逋脱の認識との間に差異があつたとは到底考えられない上、仮に、土地重課に関する知識と理解を有しながら、これを逋脱することの違法性に対する認識が通常の法人税を逋脱する場合と比較して希薄であつたとすれば、そのこと自体厳しく非難されてもやむを得ないところであつて、これを被告人に有利な情状として考慮すべきものとは考えられず、この所論は失当というほかない。
第三に、所論は、「原判示第三の実際所得金額の中には、雑収入として、被告会社がみなと建設事業協同組合(以下『みなと建設』という。)から御殿場市深沢所在の土地(以下『御殿場物件』という。)に関して受領した九六八一万円が含まれているが、右金員は、必ずしも被告会社の実質所得を形成していないものである。すなわち、被告会社とみなと建設は、昭和六〇年七月ころ共同事業として右御殿場物件の上にホテルあるいはリゾートマンションを建設してこれを売却する計画を立て、右物件を片倉物産株式会社から五億二一二四万六〇〇〇円の価格で購入したのであるが、その後、右物件が右計画にそぐわない欠陥商品と判明して、みなと建設において共同事業からの離脱を申し入れてきたため、両者協議の結果、みなと建設が被告会社に『降り料』として一億円(実際には前記九六八一万円)を支払つて右事業から離脱し、みなと建設が御殿場物件の購入資金として他から借入していた二億五〇〇〇万円については、被告会社がこれを肩代わりすることとしたものである。右のように前記九六八一万円は、共同事業からの『降り料』として受領したものではあるが、本来であれば、御殿場物件に関する入出金は、たな卸資産取得のための原価であつて、共同事業の終了までは何らの損益を生じないものであり、被告会社において現在まで右物件を売却することができず、平成二年九月二五日の時点における評価額が一億七七七三万一〇〇〇円に過ぎないこと等に徴しても、右物件に関する被告会社の全体的損益は、約二億円の損失となることが確実であり、昭和六一年一〇月期末の時点においても、ほぼ同額のたな卸資産の評価損が存在したとみられるのである。したがつて、本件雑収入は、みなと建設による御殿場物件に関する損失の一部負担に過ぎず、必ずしも被告会社の同期の実質所得を形成していないものというべきであり、この点を被告人らに有利な情状として斟酌されたい。」と主張する。
そこで、検討するに、原審及び当審の関係証拠によれば、昭和六一年一〇月期に被告会社が九六八一万円の雑収入を得た経緯等は、概ね所論の指摘するとおりであると認められ、被告会社とみなと建設が御殿場物件について共同事業協定を締結し、右物件を利用してホテル等の建設・販売を計画したものの、右物件が右計画にそぐわないことが判明したことから、みなと建設において共同事業からの離脱を求め、これに応じた被告会社に対し「降り料」(ペナルティ)として、右金員を支払つたものであることが認められる。
右事実からも窺われるように、御殿場物件については、これを片倉物産株式会社から購入した時点での評価に誤りがあり、後日購入価格に見合うだけの価値のないことが判明したというのであつて、いわゆるたな卸資産の評価損の場合に当たらないのみならず、仮にこれを評価損に準ずるものとして考えてみても、そのような損失は、当該物件の売却によつてこれが現実のものとなつた時点において初めて計上することが許されるのであり(右物件は現在に至るも売却されておらず、最終的に損失を生じることになるか、また、損失額がどの程度になるかは不明である。)、他方、所論「降り料」が将来発生すべき損失をあらかじめ補填する趣旨のものであつたとしても、それが当該年度において現実に授受されている以上、これを当期の収益に計上せざるを得ないことは明らかである。そうだとすれば、本件「雑収入」が被告会社の実質所得を形成していない旨の所論には、たとえ情状論としても、たやすく賛成することはできない(そもそも、右「降り料」が約一億円という金額になつた経緯は、みなと建設が共同事業からの離脱を申し入れたのに対し、被告人の方から「御殿場物件については自分の方でも既に五〇〇〇万円位経費として使つているので、その倍の一億円位を出してくれるのであれば、その後は被告会社の方で全ての責任を取つてもいい。」旨の話をし、みなと建設がこの条件を了承したためであることが認められるから、右「降り料」が不十分なものであつたとしても、それは、被告人らがみなと建設離脱後の御殿場物件に関する事業計画の見通しや右物件の評価を誤つたためにほかならず、この点を特に被告会社のため有利に酌むべきものとは考えられない。)。所論は採用するに由ない。
してみると、被告人らにおいては、本件査察前の昭和六二年二月ころになされた所轄渋谷税務署の被告会社に対する調査を契機として、これまでの虚偽申告の見直しを決意し、新たに依頼した福田税理士の協力を得て修正申告の準備をしていたものであり、同年六月中旬に開始された本件査察に対しても率直に非を認めて事実関係を詳細に供述すると共に同六三年三月には査察の対象外である同五八年一〇月期分を含めた四事業年度分について修正申告をした上、被告人らの資産を売却したり金融機関から融資を受けるなどして、逋脱本税、附帯税、地方税の納付に努め、既にこれを完了したこと、右税理士の指導の下で経理事務体制を改善したこと、相当の社会的制裁を受けていること、被告人にはまつたく前科がないこと、その他被告人の服役がその家族及び被告会社の事業活動等に及ぼす影響、被告人の健康状態等所論指摘の首肯できる諸点(なお、所論は、被告人を懲役実刑に処した原判決の量刑は、類似の逋脱事案に対する若干の裁判例と比較しても重きに失する、と主張するが、単に判決書に現れた犯罪事実や情状だけを取上げ、これと対比して原判決の量刑の軽重を論ずること自体が、相当ではないのであつて、この所論には賛成できない。)を被告人及び被告会社のため十分に考慮しても、本件が被告人に対して刑の執行を猶予すべき事案とは認められず、被告人を懲役一年六月に、被告会社を罰金一億円にそれぞれ処した原判決の量刑は、やむを得ないところであつて、重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。
しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、被告人は、原判決を厳粛に受け止めて一層反省を深め、その現れとして、自己の負担で日本赤十字社及び財団法人羽陽和光会(被告人の郷里の山形市にある更生保護会)に各二〇〇〇万円を、東京芸術大学に一〇〇〇万円を、それぞれ贖罪のため寄附したほか、日本更生保護協会の賛助会員となり、都内にある多数の更生保護会を訪問して被保護者の激励等に努めていること、現在東京都台東区所在の宗教法人日蓮宗誠向山正法寺の墓地開発事業のために尽力していることなどが認められ、これらの原判決後の情状に原審当時から存在していた被告人に有利な諸般の情状を加えて再考してみると、前叙の犯情に鑑み懲役刑の執行を猶予すべき事情が生じたとまではいえないものの、被告人に対する原判決の量刑をそのまま維持することは、明らかに正義に反するものと認めざるを得ない(なお、原判決後、被告会社の負担によつて都内の更生保護施設にファクシミリ合計一〇台<時価合計一三九万〇五〇〇円相当>が寄贈されたことが認められるが、これら原判決後の情状を考慮しても、被告会社に対する原判決の量刑をそのまま維持することが明らかに正義に反するものとはいえない。)。
以上のとおりなので、刑訴法三九七条二項により、原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件について更に次のとおり判決する。
原判決が認定した事実に原判決挙示の法令を適用し(刑種の選択及び併合罪処理を含む。)、その刑期の範囲内で、被告人を懲役一年二月に処することとする。
被告会社については、刑訴法三九六条により、本件控訴を棄却することとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)
○ 控訴趣意書
法人税法違反 松竹エンタープライズ(株)
同 加藤嘉夫
右被告人らに対する頭書被告事件につき、平成二年四月二七日東京地方裁判所刑事第二五部が言い渡した判決に対し、被告人らから申し立てた控訴の理由は、以下のとおりである。
平成二年八月一七日
主任弁護人 俵谷利幸
弁護人 神宮壽雄
同 五木田彬
同 山田修
東京高等裁判所刑事第一部 殿
記
原判決の量刑は、以下の諸情状に鑑み、被告人加藤嘉夫を懲役一年六月の実刑に処した点において、著しく重きに失し不当であると言わざるを得ず、到底破棄を免れないものと思料する
第一点 本件ほ脱税額について
本件のほ脱額は、実質的観点から見た場合、起訴額である約三億八〇〇〇万円を相当程度下回り、約三億四〇〇〇万円に留まるものである上、ほ脱率(起訴金額による。以下、同じ)も約六〇パーセントと比較的低率であり、総じて本件が重大悪質事案であるとは言い難いものである。
一 ほ脱犯の保護法益が国家課税権であることは周知のところであり、その法的非難の強弱が、基本的には、実質的に侵害された国家課税権の大小又は侵害の態様等に依ることも言をまたないところである。
かような実質的観点から見た場合、本件には、そのほ脱税額中に、実質所得を形成していない部分に対する税額及びほ脱に関する被告人の認識が希薄な部分に対する税額が含まれている上、約六〇パーセントという低いほ脱率からうかがわれるように被告人の遵法的な人格態度が存在することも無視するわけにはいかないのである。
二 本件起訴においては、いわゆる脱税経費として否認され益金に算入された金額が四六〇〇万円余存在するが、他方、課税庁においては、右脱税経費が損金として認容され、右損金を所得より減算した上で課税処分がなされている。
法的な評価において脱税経費の損金性を否認することに根拠があるとしても、実質的観点から見るかぎり、右の脱税経費相当額が被告会社の実質所得を形成していないことは明らかであって、課税庁における実務の通例も、現にかかる実質的観点にしたがって行われているのである。
税務上の評価と刑事上の評価とは、それぞれ別個の観点からなされるものではあろうが、いずれも同一の事実に対する国家としての行為であるはずのものが、観点の違いによって区々に別れることは国民をして納得しがたいものを感じさせる。
特に、全ての脱税事件において、いわゆる脱税経費が存在するとは言えず、しかも起訴にかかる全所得中に占める脱税経費の割合が一定とはいい得ない以上、本件のように高額の脱税経費を生じている事案については、著しく不利益となるのであって、公平を失する。また、本来純粋に税務的・会計的な判断であるはずの税額計算の中に脱税経費否認という処罰的な要素を混入させて起訴税額を計算し、しかる後に、こうして計算された税額を、客観的なほ脱税額として量刑の基礎とし、これに犯情等を加味して評価し処罰するという手順を踏んだ場合、脱税経費に関するかぎり実質上、二重処罰的な評価を受ける結果となる。従って、かかる実質的観点を欠き、機械的一律に脱税経費の損金性を否認するという措置は、刑事上の評価という同一の枠内においても不公平を生じさせるおそれがあるものであって、国税徴収手続における公平性を損ない、法の下の平等に反し、法的手続の正当性保障を実質的に阻害するものがあると言わざるを得ない。
かような観点から、本件において脱税経費は除外さるべきであるから、被告会社の実質所得は約七億八三〇〇万円余となり、これに対するほ脱税額は、約三億六〇〇〇万円余となる。
三 また本件ほ脱税額においては、いわゆる土地重課による課税分が約二〇〇〇万円存在する。
いわゆる土地重課は極めて税務技術的な計算手続によって算出され課税されるものであり、そのため実質的に見て、土地重課に関するほ脱の認識と、これを除いた通常の法人税に関するほ脱の認識とが、必ずしも同列に論じられないことは周知のところである。
本件において、土地重課を除いたほ脱額のうち、前記の実質所得に対応するものは約三億四〇〇〇万円にとどまる。
四 さらに、原判決が認定している昭和六一年一〇月期の雑収入のうち、みなと建設事業協同組合からの九六八一万円は、実質的に見て、その全てが当期の益金とは言いがたい側面を有する。
原審公判廷において取調済みの関係証拠によれば、右の九六八一万円は、被告会社とみなと建設事業協同組合とが、共同事業として協定を結び地主から土地を購入した上ホテルを建設して売却しようと計画していた「御殿場」物件(訂正後の原審検察官冒頭陳述書物件番号二一)に関し、当初は土地を購入すればその上にホテルを建設できると見込んでいたものの、その後、右土地の特殊事情により地主名義が変われば建物建設の適格を失ってしまうものであることが判明し、不動産取引における商品価値が極端に下落することが確実となったため、みなと建設事業協同組合から被告会社に対し、「協同組合としての性格上、あぶない橋を渡る訳にはいかない」との申し入れがなされ、両者協議の結果、みなと建設事業協同組合から被告会社に対し「共同事業降り料」(甲第一三号証、雑収入調査書二頁の手段方法欄その他)として一億円(実際金額は、九六八一万円)を支払い、その代わりみなと建設事業共同組合が右物件の購入資金としてオリエントファイナンスから借入れていた二億五〇〇〇万円を被告会社が肩代わりして以後の取引を進めていくこととなったものである(乙第三号証、被告人の検察官に対する供述調書)。
このことから明らかなように、御殿場物件は被告人らの計画にそぐわない欠陥物件だったのであり、それがため、共同事業者であったみなと建設事業協同組合が右共同事業から降りたいと言い出したものであって、本来であれば、御殿場物件に関する入出金は、被告会社及びみなと建設事業協同組合にとって、棚卸資産取得のための原価すなわち資産勘定における取引であり、御殿場物件の売却その他事業の終了までは何ら損益を生じないものであったにもかかわらず、みなと建設事業協同組合が右共同事業から脱退するという予期しない原因によって、はからずも、御殿場物件に関する損益の一部が、事業終了以前の段階つまり右物件に関する本来の全体的損益が実現していない段階において、九六八一万円の雑収入という形で実現してしまったものと言える。
そして、御殿場物件に関し、みなと建設事業協同組合が危険性の高い事業と考え、一億円もの「降り料」を支払ってまで共同事業から脱退したいと判断したこと、及び、これを引き受けた被告会社において、現在に至るも同物件の売却ができないままでいることなどを見ると、昭和六一年一〇月期の時点において、予期していなかった事情から実現してしまった部分損益において、九六八一万円の雑収入があったとしても、将来実現することとなる御殿場物件の全体損益においては、赤字となる公算が極めて大きかったと言わざるを得ないものであった。
現在の調査によれば、御殿場物件を売却した場合、およそ二億円前後の損失を生ずることが確実視されており、右物件が昭和六一年一〇月期以降現在まで、いわゆる「塩づけ」になっていることから、同期末においてもほぼ同様の棚卸資産の評価減が存したと見られるのであって、同期末にかかる決算処理を行えば、九六八一万円という雑収入も被告会社の同期末の期間損益計算の中で解消され、本件のように予期せぬ一部損益のみが突出することはなかったと言えるのである。もちろん被告会社は右雑収入を公表より除外しているのであるから、これに関する期末棚卸資産の評価減を計上するはずもなく、その不利益はひとえに被告会社及び被告人に帰せらるべきものであろうし、現在も御殿場物件は売却されず、したがって同物件に関する全体損益が二億円前後の損失と確定した訳でもなく、さらに、弁護人としても期間損益の原則を無視している訳ではないのであるが、前記の経緯に立脚して本件の雑収入九六八一万円の正確を考えると、右雑収入は、みなと建設事業協同組合による御殿場物件に関する損失の一部負担にすぎず、必ずしも被告会社の実質所得を形成していないという側面があることを否定できないのであり(同物件の昭和六一年一〇月期及び現時点における潜在的・実質的な損失については、当審において立証する予定である。)、この点をを情状として御斟酌いただきたいと願うものである。
五 本件のほ脱率約六〇パーセントは、高率とは言えず、むしろ比較的低率と言い得る。
いわゆる脱税事件において、ほ脱率が九〇パーセントを越え、ややもすると一〇〇パーセントに迫る例は、我々がしばしば見聞きするところであり、一般の脱税事件においては、ほ脱率九〇パーセント以上というのがむしろ通例とも言える実情にある。
こうした一般の脱税事犯に比較し、約六〇パーセントという本件のほ脱率は、むしろ稀に見る低率と言わざるえ得ず、かかる低率をもたらしたものは、脱税に及んだとは言え、その程度において自己抑制力を失わなかった被告人の遵法的な人格態度に他ならないと言わなければならないのである。
現に、被告会社は、昭和六〇年一〇月期の納税額につき、日経ビジネスによる「日本の六〇、〇〇〇社」において全業種中の一四、二六三位、不動産業中の六二四位にランクされているほか、同六一年一〇月期の同ランキングにおいて、全業種中の一〇、九三一位、不動産業中の五六四位に位置しているのであり、こうした事実は、被告会社の申告率の高さを示すものに他ならない。
第二点 被告人及び被告会社の捜査協力について
本件においては、被告会社が、「土地ブームに乗り、地価を高騰させ利益を貪った上その所得隠しに走った業界ぐるみの犯行の中枢にあった」(原審検察官論告)などという事実は存在せず、むしろ被告会社と時期を接近して摘発された関連取引先等を含む一連の脱税事件の中にあって、被告会社は、国税当局及び捜査当局に進んで協力し、その貢献が大いに評価されていたのである。
一 本件は、いわゆる初穂グループによる脱税事件の一環として摘発されたため、ややもすると、被告会社が同グループによる脱税の一員であり、業界ぐるみの脱税をなしたかのような誤った印象を与えるおそれなしとしないが、被告会社が右グループの脱税に関連したのは、原判決が「当時の有力取引先の社員に対する分配金」として指摘し、原審検察官の訂正後の冒頭陳述書・物件名七及び一六に記載された田中稔からの依頼二件のみであり、他に同グループの脱税に加担した事実は全くないのである。
とはいえ、右グループといささかでも関連をもったことが被告会社に対する印象を悪化させたらしく、原審検察官の前記論告もこうした印象に基づくものと推察される。
しかしながら、前記初穂グループの事件とは、株式会社オーシャンファーム・株式会社順幸産業の二法人(若松俊男ら二行為者・一共犯者)に対する法人税法違反及び田中稔・片桐忠夫・吉住隆弘・松本安弘に対する所得税法違反を中心とする脱税事件であり、右事件の被疑者がいずれも逮捕勾留された上、起訴されたのに対し、被告人はいわゆる在宅のまま取調を受け、在宅のまま起訴されているのであり、このことからも明らかなように、捜査当局も同グループに対する取扱と被告人及び被告会社に対する取扱とを明確に区別しており、被告会社を同グループの一員とは決して見ていなかったと言えるのである。
しかも被告人は、国税当局による査察調査の当初より事実をありのまま認め、進んで真実の解明に協力してきたものであって、被告人の自発的な協力によって、前記二法人及び田中稔ら四個人(身柄拘束者)並びに身柄不拘束の若林らを含む同グループによる脱税事犯の全容を解明することができた等、国家徴税権が十分に機能すべく全面的に協力した被告人の功績を無視することはできない。
査察・捜査に全面的に協力し、率直に真実を供述して事案の解明と国の課税業務の適正な執行に協力した被告人が、関係違反者に比べて不当に重い実刑判決を受けることになっては、不公平の非難を受けることも避けられないのであろう。
二 昨今の地価高騰等土地をめぐる不健全な現象は、重大な社会問題と言わなければならないが、これは我が国の政治・社会・経済及び国際的金融事情等に由来する歴史的で、かつ構造的な難問題であり、その責任をひとり不動産業者や不動産業界に帰着させることには無理があると言わなければならない。特に、被告人ら零細な業者に全面的にその責任を求めようとするのは酷にすぎるものである。
地価高騰を始め土地をめぐる構造的問題のよってきたる原因や背景は、弁護人が殊更に述べる問題ではないが、本件との関連において特に指摘しておきたいことは、昨今のマスコミ等が土地に関連する商取引を全て「地上げ」の名でくくり、土地を巡る全ての不正・不合理の原因を不動産業者に転稼させるという傾向である。
合理的に見れば、地価高騰その他土地に関する不健全な現象の原因が不動産業者のみによるものでないことは明らかだが、一方において地価が高騰し、他方において不動産取引で利益を得る不動産業者が存在するという現象面だけを見るとき、不動産業者を悪玉とする短絡的な見方が、表面的で且つ誤った見方であるにもかかわらず、一種の説得力をもって迎えられる風潮が存在していると言えよう。
そして、このような風潮に立つ見方が本件にも影響し、被告会社が不動産業者であることのゆえをもって、地価高騰により不当に利得し脱税したというような情緒的な評価をもたらすのではないかとの危惧を禁じ得ないのである。
また、不動産業者の中でも、大手企業は巨体な申告漏れも修正申告で済ませ、税法違反による司法的責任を問われない例も散見される(本件関連の株式会社初穂は、約三八億円の修正申告をした。平成二年二月六日付朝日新聞朝刊)のであるが、起訴されたもののみが不当に社会的非難の対象にされることもあってはならない。
第三点 被告人の反省などについて
被告会社に対する法人税本税その他は完納され、本件による課税権の侵害は、全て回復されているうえ、被告会社の経理・税務も改善されており、その他被告会社の経営状況、被告人の生活態度、家族の状況、被告人の健康状態、被告人及び被告会社に対する社会的制裁等、一般予防及び特別予防のいずれの観点から見ても、被告人に実刑を科す必要は消滅している。
一 被告会社は、本件対象期の三期分全てにつき早期に修正申告の上、ほ脱にかかる本税、附帯税、地方税の合計七億七四〇七万六一〇〇円を完納し、告発対象期前の昭和五八年一〇月期分についても修正申告の上、国税・地方税合計約五三七万円余を納付しているが、これは納税を最優先に考え、納税資金を準備すべく、約一億三〇〇〇万円の差損をもいとわず、株式売却などを実行した被告人の真摯な努力の結果であり、本件による課税権の侵害は、被告人の努力により全て回復されている。
二 被告人は、本件による留保資金を専ら被告会社の資産として保持し、私的用途に費消した分は殆どないと言ってよい。そして私人としては堅実で質素な生活態度に終始している。
被告人は、自宅内装及び家族旅行のため本件の留保資金のごく一部を使っているが、平素は大変質素な生活を維持し、留保資金のほとんどを被告会社の預金・株式・現金等として保有していたもので、これがため前記本税等の完納も早期になすことができたのであるが、このような被告人の企業経営、生活態度はとりもなおさず、被告人による本件行為が金銭的欲望の追求ないしは私的な欲求の実現のためという次元の低い動機や利欲によるものでなく、企業家として、デベロッパーとして一般のユーザーに安い住宅を供給したいという夢を持ちつつ、その過程で、はしなくも脱税に及んだものであることを物語っている。
こうした被告人の考えや夢が、脱税の動機として特に酌むべきものとは言えぬとしても、企業経営者として将来の経済情勢の悪化に備えて企業基盤の強化・体力保持に努力することはむしろ当然であり、被告人が利己的・利欲的な目的や動機から本件に及んだものではなく、むしろ経営者としての自覚を失わず自らは堅実で質素な生活を送ってきたことが明らかである。
三 被告人は、本件査察調査以前に、自ら脱税を反省し、自発的にこれを修正し正規の納税をするための具体的準備を始めていたものであり、査察後も進んで調査に協力し、顧問税理士の指導監督のもと被告会社の経理・税務の根本的な改善が行われている。
原審における証人福田英敏税理士が述べているとおり、被告人は、昭和六二年二月から三月にかけて受けた所轄渋谷税務署の税務調査の際、自己が過去に行った不正行為が明るみに出るものと半ば覚悟をしていたが、予期に反し数百万円の修正ですんでしまったことから、かえって不安に陥り、悩んだあげく、これまでの不正行為を全面的に修正し納税する決意を固め、かかる税務の全面的見直しを依頼するに足る税理士を捜査した結果、人づてに福田税理士を知り、その門を叩いたのである。
福田税理士は、不正行為を全てありのまま明らかにするものでないかぎり受任しないという厳しい態度で被告人に接したが、被告人の決心に偽りがないことと被告人の人柄を知るにいたり、被告会社の税務に関する全面的な見直しと修正を引き受け、その作業に取りかかった矢先に、本件査察調査を受けたというのが、偽らざる実態である。
もちろん、事後に修正すれば不正行為の償いができるというものではないが、課税庁の実務を見た場合、被告人による自発的な税務の見直しと、これに基づく全面的な修正申告とが、仮に、被告人の意図したとおりに行われていたならば、本件の査察調査は行われなかったのではないかとの点に思いを至すとき、弁護人としては口惜しさを捨て切れないのである。
しかし、被告人は悔しさのため自暴自棄になることなどなく、本件査察以後その調査に全面的に協力し、当時通院していた病院の医師から持病の糖尿病の悪化を指摘され入院を勧告されたにもかかわらず、これを断って査察調査への協力を最優先させ、その後国税局査察官より、被告人の協力により早期に税額確定ができた旨の感謝の言葉を受けたほどであった。
そして、本件査察調査以後、被告会社においては、前記福田税理士らの指導の下、全ての入金は銀行口座を通し月次決算を行うと共に、同税理士らにおいて、多少とも判然としない入出金については同税理士らが月次決算の都度厳しく問い正す等のチェックが行われるに至っており、二度と不正行為がなされることのないシステムができあがっている。
現に、本件査察以後、被告会社に対して行われた所轄渋谷税務署による法人税調査においては、何らの指摘を受けることなく調査が終了しているのである。
加えて、この間における被告人の改悛の情にはまことに顕著なものがあり、本件査察調査前において、過去の不正行為を全面的に修正する決意を固めていたことのほか、本件査察後も、国税局による調査に全面的に協力し、医師から入院を勧められながらも、査察調査への協力を最優先させ、税額確定後は差損を顧みず株式売却などを行って国税及び地方税の納付を最優先させたことなど、反省と悔悟の情が如実にうかがわれるところであり、被告人自身が、外部からの制裁・施設内教育や指導を持たずとも、社会内において、自らの自制ある生活によって、自力更生ができる人格と能力の持ち主であるということができる。
四 被告会社及び被告人に対しては、既に相当程度の社会的制裁が加えられており、被告会社の経営状況、被告人の家族の状況、健康状態等をも考え併せると、被告人に実刑を科することは酷に失する。
被告人とその家族は、本件の新聞報道により近隣の者から白い目で見られ、日常の挨拶すら無視され返答してもらえないという、村八分的状況におかれており、昼間、家庭にいて近隣と接触する機会の多い被告人の妻子は、早期の転居を強く希望しているほどである。
こうした状況に追い込まれた被告人の家族、特に、現在満二二歳になる長女及び満一九歳になる長男にとり、近い将来予想される就職、結婚等にあたって被告人の社会内での存在が是非とも必要であり、本件を契機として、社会的・国家的責任に対する深い反省と自覚の上に人間性を鈍化すべく、生活態度をさらに真摯にしている被告人の、身をもってする教育が重要である。
仮に、この時期に被告人が服役した場合、長女・長男の今後の人生に計り知れない挫折を招くおそれ無しとしない。そのことは、社会にとって二重三重のマイナス効果を生ずると言っても過言ではないであろう。
また被告会社においても、本件の新聞報道などを契機に従来の取引先が遠ざかり、銀行融資も停止される等経営的に極めて厳しい状況に追い込まれており、さらに原判決後の平成二年七月二四日には、原判決を新聞報道により知った東京都知事より、本件脱税を理由に宅地建物取引業法による指示処分を受けているが、今後行政庁の処分によっては同法による業務停止あるいは免許取消処分を受ける事態を招くことが憂慮されているなど、既に相当程度の社会的制裁が加えられている。
こうした状況のほか、本件納税のために借り入れた約四億円を含め、合計約一九億円の借金を抱えている(原審公判廷における被告人供述)被告会社は、被告人が経営に関与できない事態が生じたときにはたちどころに倒産してしまう危機に直面しているのである。
かかる事情に加え、被告人の前述した自発的な修正の努力、査察調査に対する真摯な協力、納税のための姿勢と努力、改悛の情、経理・税務システムの改善、信頼できる顧問税理士による監督体制等の事実に鑑みるとき、前科前歴のない被告人を施設内に収容して矯正を施す必要は全くないと言わなければならない。
第四点 原判決の量刑不当について
原判決は、次に述べるように、最近東京地方裁判所ほか各地で宣告された裁判例のなかから、本件と同種同等、ないしはこれに近いとみられる事案の判決に示されたものについて、犯罪事実、犯情、量刑等をつふさに比較考量してみても、その量刑が重きに失すること明らかである。
以下各事例について量刑事情を中心に検討を加える。
一 後記裁判一覧表(1)記載の近代プランニング社及び代表取締役田崎庸三に対する判決は、ほ脱金三億八、五五五万円余の事件で、不動産業者が、受取手数料の除外、架空手数料の計上などの方法より、所得秘匿も架空領収証を利用しているなど、計画的で犯情悪質というほかなく、刑責は軽視できないとされながら、犯行の全面自白、反省の態度があり、修正申告があって本税の納付が終了していることなど勘案し、被告人は社会内で自力更正させるのが相当として、執行猶予(求刑は、本件と同じ)を付している。
同表(2)判決は、ほ脱金額三億五三五三万円余、ほ脱率八六・八%、架空の領収諸や売買契約書の作成など手口は巧妙、犯情も悪質であって刑責重大、実刑も考えられるとしながら、税務調査に応じて修正申告の予定であったこと、査察捜査に協力的で自白し、修正申告して本・附帯税等を完納、ほ脱所得を会社に戻し入れていること、経理体制を整備したこと、新聞等に取り上げられ社会的制裁を受けていること、等を指摘し、被告人の身上等を勘案して被告人に対し執行猶予を付している。
同表(3)判決は、ほ脱金額三億四九五九万円余、ほ脱率九三・四%、つまみ申告などの手口によるが、修正申告、本税の九三%を納付して完納の見込みあること、反省と経理事務の改善、社会的経済的制裁を受けていることを評価、罰金刑に加えて実刑は酷であるとして執行猶予とする。
この三件の犯罪事実、情状を本件被告人加藤の場合と比較すると、その間に全く径庭はないといってよい。
これに対し、同表(4)判決の被告人は、ほ脱金額三億五四二五円であるが、本税の全納もなく、前科前歴のあることなど指摘されており、本件被告人に比して犯情ともに重大であると思われるが、実刑を免れないとした。
二 裁判一覧表(5)(6)の判決に示された事案は、ほ脱金額四億四八二二万円及び五億一七〇八万円であり、業種は建築設計施工や砂利採取販売事業等で、手段方法も売上の除外、架空経費の計上などによるものであるが、被告人に対しては、格別の情状指摘もないまま、刑法二五条一項の適用が判示されている。本件被告人加藤の場合に比較し、より悪質重大な事案と言わねばならない。
同表(7)の判決事例も、ほ脱金額三億六三八四万円に達し、手段方法も悪質である上、公判において一〇年にわたって争われた事案である。
これら三件に対し、執行猶予が付されていることを考えると、本件被告人に執行猶予が付されなかった原判決の量刑は明らかに均衡を欠くものであって、重きに失する。
三 裁判一覧表(8)(9)(10)(11)(12)の判決に示された事案は、いずれも被告人に執行猶予が付された事例であるが、ほ脱金額が三億五、三九四万円ないし二億五、九四七万円程度で、本件被告人加藤の場合と同額ないし、やや下廻る程度である。
自白、改悛、反省、修正申告、経理体制の改善、前科のないこと等の情状が指摘されているが、被告人加藤とほぼ同等であって、被告人加藤に対して執行猶予が付されてないのは均衡を欠き、当を失していると思料する。
四 裁判一覧表(13)(14)の事案は、公判中に重ねてほ脱行為に走ったり、税務当局の査察を受けつつ、続いて査察手入れはないものと予測しながら重ねてほ脱行為に及んだりしたもので、判決指摘のように、ほ脱率も高く、手段方法は全く悪質、計画的で情状酌量の余地はなく、実刑判決は相当であろう。
(15)の事案は、ほ脱税額四億九、五七九万円に達するが、経営者は八三歳の老女、修正申告のうえ全納、事業及び経理の体制を整備したこと、使用人たる被告人は自白、改悛の情あり、多額の贖罪寄付に及んでいることが酌量された。執行猶予は相当である。
第五点 被告人の贖罪について
一 贖罪と刑事対策
(一) 贖罪の歴史は古い。原始的社会における氏族的抗争に際して、氏族間に復讐、闘争が行われた。多くの場合、或る程度の闘争の後和解が成立する。被害者が加害者から財物を受け取って復讐を抛棄する。いわゆる贖財である。贖財による和解が長によって媒介されることになり、復讐の制限、贖財による解決が強制され、贖財は刑法的意義を強めた。
古代刑法でも、きわめて峻厳苛酷な刑罰と、他方に広範囲にわたる贖財、ことに加害者から被害者への償金を制裁とした。今日の私法における損害賠償に近い性質であるが、公法的刑法と私法的刑法をあわせ持つものであった。紀元前一九〇〇年頃のハンムラビ法典にも、国家的刑法が行われるようになったギリシャ時代にも、償金の定めが維持された。
(二) わが国の刑事司法においても、贖罪の思想は生きてきた。旧制度においては、刑事手続きにおいて、附帯私訴(旧刑事訴法大正一一年法七五号、五六七-六一三条)が認められていたが、贖財(私的弁償)の制度的な名残である。刑法の純化思想のもとに、刑事司法の制度、運用面で私法的色彩が薄められ、公法的色彩、つまり国家的刑罰の性格が明確にされ、国家的ないし公的なものの理論付けが勧められた。しかし、刑罰・刑事的処理の現実は、依然として社会的ないしは、私的非難の要素が強く認められるのであって、純粋に国家的ないしは公的非難の制度とみることはできない。刑事訴追は、被害者や私人の届出、申告、告訴に始まり、示談による宥和、告訴の取り下げが検察官の処分、裁判官の量刑にも影響を与えている。仮出獄許否の要件としても社会感情の是認が重大なウェイトを占めている。
(三) 近年の刑事政策の試みは、強い教育刑理論の影響下で行刑面での治療主義的施策と手法が採られてきた。しかし、その努力の不成功と操作主義的性格の反省の上に、かえって応報刑論への傾斜、刑罰の犯罪処理機能の再考という思潮がみられる。刑罰を率直に承認し、これによって犯罪者を改善しようとすることに対する疑問であり、治療主義の反省にたって、社会復帰の問題を再考しようという試みである。ミュンヘン大学教授アルトウール・カウフマン(Arthur Kaufmann)の考えによれば、責任刑法に立脚しつつ、責任を自己負責的に引き受け、それを除去しようとすることによって、責任から自己を解放することができる。行為者は、世の中の人々から罪を償った人として認められ、それ故、再び社会の完全に価値ある罪をあがなった一員とみとめられることが可能となる。行為者がその間違いを洞察し、それによって責任除去に到る場合のみ、将来再び犯行を犯さないことが期待されうるというのである。要するに、行為者のその後の行為によって責任を払い戻すことができ、行為者の努力によって、責任を除去し得るとする。そして、行為者の努力による責任除去と周囲の人々との関係の回復を「贖罪」と表現する。また、応報と贖罪を区別し、応報は悪事を理由に害悪を加えることであり、応報される場合、行為者は受動的に耐え忍ばなければならない。贖罪は有罪者自身の一つの積極的な倫理的給付てある。そして、贖罪はいかなる害悪でもなく、罪の償い、すなわち害悪の補償である、という。治療主義は、受刑者を社会復帰させる他律的な存在として把える傾向があり、自身による主体的な社会復帰の努力を奨励してこなかった点にその不成功の原因があったとみる。カウフマンは、さらに、行刑に関して、答責意識を目覚めさせ、彼らの行為がもたらした害悪が、積極的な給付を通して償われる機会がより多く与えられれば、それだけ(社会復帰の)成功する確率も高くなるであろう。公共に役立つ労働を通じて、その不法をできる限り償い、その責任を除去するため、社会に有用な仕事を奨励すべきである、外界との関係は、行刑の目的に役立つ限り奨励される、と社会化を支持する。
(四) 贖罪とこれを具現する行為のもつ意義は、行刑においてのみならず、犯行の直後、検察処理と裁判の係属中を含め、刑事手続きの過程にある犯人、被疑者(被告人)にとって、きわめて重要である。社会に対する責任の履行、国家的、社会的寄与、再犯防止と社会防衛という窮極的な問題の基盤であるからである。しかし、贖罪が実践されるためには、犯罪者が自分に対する法的判断(事実認定と責任に関する判断)について、自らこれを認容し、これに対する痛惜と反省が形成されていなくてはならない。逆に、犯行に対する事実認識と責任判断を感銘的に受認している犯罪者は、よく贖罪し、公共に対する償いと貢献、そして、自らの社会復帰を真摯に考え、追求し、実行できる。贖罪は刑事政策上、重要な意義をもち、よく機能を果たすものであり、実務において、その取扱に十分な配慮が払われねばならない。
二 贖罪の評価
(一) 人間は犯罪を犯したことに、罪悪感を覚え、さいなまれる。時には刑罰を加えられるが、悔い改める心、改悛の情が湧き、やがて罪に対する償いの念から贖罪が始まる。罪から償いに至る心理過程が人類の歴史の遺産として、人々の心底に存在する。同時に、人間の心には、罪を犯したとしても、罪を免れたい、という心理もある。これらの心情と、犯人をとりまく被害者、一般社会人の感情、これらとの宥和をすすめ、社会復帰をはかることは、刑事司法の制度としても運用としても重要な課題である。刑事訴訟法は、自己負罪免除の規程(一九八条、三一一条ほか)を置くが罪刑を免れ得ることと、贖罪の理念は別異の問題であり、贖罪と刑罰減免とは同じ次元の問題ではない。贖罪即刑の減免、にはつながらないのは一つの理論であるが、全く無縁無関係ではない。罪を償えば刑が消滅するのは必然であり、贖罪は当然に贖刑の結果をもたらすことになる。罪に関係なく刑を償う(贖刑というとして)という理論も成り立ちそうであるが観念的であり、即物的にすぎるとも云えよう。むしろ、贖刑にしても贖罪を含み、両者の間には相互一体的な関係、有機的な関連性がある。贖罪は、実際において恩赦の機能-特赦、減刑、刑の免除、復権と再犯防止の働き-をもつ人間的な精神性の高い行為である。従って、刑政的に考えると、これに適切な評価を与え、刑の適用量刑等にわたって十分に考量さるべきである。また、真摯なる贖罪は、宗教的にも救いがあるものとされており、供犠または代償を供進することによって罪科のあがないを認める。この宗教の立場は、社会一般が犯人を宥怒、宥和し、その社会復帰を肯認する要因と認めることに通ずるものがあり、刑罰としても同様に評価すべきである。
(二) 贖罪によって、罪刑を免ぜられた史上の例も少なくない。たとえば、「史記列伝」の伝えるところでは、前漢武帝の時代、死罪を贖罪金で償ったもののなかに、李広、博望喉張騫の二将軍がいる。李博、張騫が贖金によって死刑を贖うことなく、刑に服していたとしたら、その後の、二将軍の功績は存在し得なかった、人類の歴史は贖罪に値するものを正当に評価して誤っていない。
最近の裁判においても、四億九、〇〇〇万円余の所得税のほ脱事件(裁判一覧表(15))において、使用主に対して罰金一億五、〇〇〇万円、使用人に対し、贖罪寄付を酌量に入れ、懲役二年六月執行猶予四年に付した判決(東京地裁刑事二五部昭和六三年六月一五日判決)があった。刑事司法の実際においても、贖罪の真なるものに対しては裁判上適正な評価がなされている。
三 被告人の贖罪
(一) 本件被告人加藤については、一件記録からも明白であるように、すでに国税局の査察が着手される以前に、自己のほ脱行為に深い反省を始め、査察が開始されるや、その段階から検察捜査の全過程を通じて自白し、査察官、検察官より問われた事実関係を率直に述べ、同時に査察捜査がすすめられていた他の関係者に対する訴追捜査の遂行もスムースに進められたほどに事実を供述し、自らの行為が非であることと社会的責任を認めた。関連するいわゆる初穂グループ事件(被告会社二、被告人六)のほ脱事件について、査察・捜査の実があがったのは被告人のかくれた功績というべきものである。被告人は、自ら深く租税免脱行為の責任の重大さを思い、捜査官が期待する以上に事実を淡々と明らかにした。深い反省と素直な供述態度が、被告人に在宅起訴の処理となり、第一審で懲役二年六月の求刑がなされたが、被告人は第一審判決の事実認定と懲役一年六月の刑罰量定に服する心境でいた。実刑判決も当然と受容したのである。第一審判決後、被告人は、妻子と服役について相談した。妻子からは、裁判所の判断である以上、さけられないもの、己むを得ないもの、と思うものの、家計や家族の将来、事業の前途を案ずると服役は何としても避けてほしいものと切なる願望が訴えられた。被告人は、第一審判決の言渡しを受け、嚴に刻む想いで受けとめ、自己の罪科に対する深い反省の渕に立たされた。。改悛と贖罪の念を一そう深めながら、再度の審判の機会を得たいとして控訴申立てに及んだのである。
(二) 被告人加藤は、被告会社及び行為者としての被告人の、本件法人税法違反行為の国家及び社会に対する責任をあくまで果たしたいと思っている。その健康状態もかなり憂慮される状況にあるが、従前以上に病躯をくしして働いてきた。その責務を重しと心に銘じているからである。被告人は、被告会社としても同じように、第一審判決で実刑を言い渡されたが当審においては、寛大な判決を期待したいと思う。被告人は、社会公共に対し、いささかでも寄与できるような有用な措置を講じたい、本件にかかる本税、付帯税及び地方税等の全部を納付した上に、さらに加えて保有資産を緊急に処分し、個人借入をしてぎりきりにまで可能な資金捻出をしてでもこれを公共に提供し、これをもって、罪科の一部を償うことができるならば、刑罰は刑罰として、自らに可能な贖罪といえる程度のことをしておきたいというのが心境である。この贖罪によって、被告人は犯罪責任からの解放と、社会への心晴れての復帰が許されることになると願っている。刑罰のみでは償いのできなかった、社会、近隣の人達に与えたであろう損害、不快感、迷惑などの一部を払うことができる喜びを覚えることであろう。
(三) 被告人の贖罪行為は、その真情の発露である。被告人は、被告人会社及び被告人の経済的負担のぎりきりの限度において可能な出捐寄付を、社会的公共団体にしたいと考えている。経済ないし財産を万能とする風潮が現在の社会の一部に目立ってるが、経済的、財産的基盤ないしは支援なくしては、いかなる公共団体も、公共的使命を実践する行為と思料される。国家が、この種の寄付行為に対して各種の優遇奨励対策を講しているのもこの点を理解してのことである。被告人は、贖罪寄付によって、直に罪を免れ、あるいは刑罰に代えてほしいと願うものではない。あきらかに、その出捐にともなう財産的経済的負担は、今後の被告人の双肩にかかってくるものである。被告人会社及び被告人の日々の経済活動に通常経費に加えて重い負担を科することになる。その負担が何年かかるか、あるいは被告人の一生にわたって継続されるか、不明である。
被告人としては、一生の、しかし心の許される行為として常に新たな気持ちでもって実践することを約束している。その具体的な内容については当審において立証する。
(四) 被告人加藤は、不動産業界に身をおいている。小ながら会社を経営し、家族や従業員の生活を支えているが、仕事を通じて彼なりの理想の一端を実現し、仕事によっても得意先・社会に奉仕をしたいと希求してきた。本件を機会に、また、裁判を機会にその努力はさらに強められると思科する。不動産事業家として、業者仲間、得意先から人柄の良さと誠実さは評価されてきたが、同時に企業家としての能力もすぐれた素質が見受けられる。被告人自身もさらに真剣誠実に仕事に努力したいと願い、周囲も期待している。この点については、当審において立証する。
不動産業界は、彼が危惧していたように、一時にくらべ、むつかしい時期に入ってきた。行政処分による不利益も前途にかぶさってくるであろう。これらの経営上の困難を克服して、被告人に企業能力を発揮させ、社会に寄与させてやりたいがゆえに、その贖罪を評価されたいものと考える。
第六点 被告人の贖罪と刑の量定について
(一) 第一審判決は、被告人会社に対して罰金一億円(求刑一億三、〇〇〇万円)、被告人加藤に対し懲役一年六月(求刑懲役二年六月)を宣告した。裁判所は被告人らのほ脱金額、犯行の態様などから、基準的な量刑をなされたものと推測する。しかし、前に述べたように、他の同種同等の事件の裁判例において懲役刑の執行猶予が付されているものに比べると、被告人加藤の場合、原審認定の犯罪事実、情状面の諸要素を総合勘案しても、これらより、劣りあるいは悪質というものではないと案ぜられるから、量刑重きに失したものと思科する。
(二) 被告人加藤の贖罪意識の強さは、第一審判決を受けてさらに深化し、純化した。本人に真実及び刑事責任の重要さをさらに覚醒認識させ、自らの更正、社会復帰の決意をより確かなものにしたことは、原判決が与えた感銘力の賜物であった。この意味で原判決に敬意を表するが、一般予防的配慮に傾きすぎたのではないか。同時に原審裁判所は、より高い立場で適正な量刑がなされることを控訴審裁判所に託することを深慮したのではないか。
被告人が社会内にあって自力更生し、社会活動を続けることが許容され、被告会社も社会的使命を果たすことができることを願うものである。
当裁判所におかれては、被告人の犯罪事実、犯行後の反省と被告人が講じたいろいろの事務改善措置などの原判決において評価された情状に加えて、その後の被告人の状況、とくに贖罪の意識とその実践、社会復帰の確かさと効果が見えること、査察開始より今日までの刑罰に匹敵するような深刻な社会的制裁を長期にわたって受けてきた事情等さらに評価すべき要件が加わっていることなど、諸般の事情を酌量され、英断をもって、被告人加藤につき、原判決を破棄して、その懲役刑について執行猶予を付されることを期待致したい。
裁判一覧表
<省略>
○控訴趣意書(二)
被告人 松竹エンタープライズ(株)
右同 加藤嘉夫
右両名らに対する法人税法違反被告事件の控訴趣意書「第四点 原判決の量刑不当について」の部分を以下の如く詳述する。
平成二年八月一七日
弁護人 山田修
東京高等裁判所刑事第一部 御中
記
第一 原判決は、その量刑の理由(求刑 罰金一億三千万円、懲役二年六月)において
一1 ほ脱額の高額さ(三億八千万円余)
2 ほ脱方法として
隠匿方法が多岐に亘ること
不動産売上等の除外
売上原価等の架空、水増計上
3 犯行の動機として
将来の営業資金の蓄積であるが特に斟酌すべきものでない
以上考慮のうえ、被告会社及び被告人の刑事責任は重いと述べる一方、被告人に有利な情状として、
1 簿外資金を蓄積しようとする動機と背景が理解できること
2 査察開始後、反省改悛の上、査察官等に事実関係を詳細に供述し
3 修正申告の上、関係本税、附帯税、地方税等すべて完納していること
4 新規税理士の下に、経理事務体制の改善をしていること
5 相当程度の社会的制裁と健康状態が優れないこと
が摘示され充分これらの事情を考慮しても、被告人には実刑判決が相当である旨の判示をしている。
しかし、右判決は、後記同種・同等で類似の判決と比較して、極端に重いものといわざるを得ない。
第二 まず第一の例(裁判一覧表番号2)として、東京地方裁判所平成元年(特わ)第一二六四号法人税法違反被告事件の判決主文は、
求刑 罰金一億円、懲役二年六月に対し、法人に対し、罰金九千万円、被告人に懲役二年六月(執行猶予五年)に処すると言渡した。
一 右判決は、その量刑の理由として、
仲介等を目的とする法人及びその実質的経営者である被告人について
1 ほ脱額(二事業年度で三億五千万円余)の巨額さ及びほ脱率が約八六・八四パーセントと高率であること
2 ほ脱方法として
売上の一部除外と架空仕入の計上等
具体的方法として、架空領収書、売買契約書の作成
3 犯行の動機として
斟酌すべき点なし
以上、犯情は悪質で刑事責任は重大で実刑をもって臨むことも充分考えられると述べる一方、被告人に有利な情状として、
1 査察開始前の税務署の調査に応じて、その旨の修正申告の予定であったこと
2 査察開始後、全面的に自白し捜査に協力したこと
3 修正申告の上、本税及び附帯税を完納し、地方税についても納付したこと
4 今後は、正しく申告納税し、その為の経理についての二重のチェック体制を整えたこと
5 相当の社会的制裁を受けていること等その他の事情があることが判示され、本件事件と同種・類似事件であったのに拘らず、執行猶予が付されている。
二 本件原判決と右判決との差異
1 原判決は、査察開始前の被告人加藤嘉夫の所為について、判決理由中においてなんら明示することはなかったが、被告人は、福田英俊税理士に依頼し、査察開始前に修正申告をなす予定であったことから、この点について、両判決には差異が存在しないだけでなく、その他の摘示されている「被告人に有利な情状」を比較しても右判決と原判決の被告人にはこれといった差異を見い出しえないのである。
2 もっとも、脱税額から土地譲渡税額を控除した金額が、二億三千万円余であり、この大部分を知人からの依頼によるゴルフ場建設のために使用していたこと、これを事件後回収して会社に戻し入れていることを被告人に有利な情状と認めている。しかし、融資金を回収して会社に損害をかけなかったという点は、本件被告人が会社資金として、簿外であるが蓄積していたこととたいした差異はない。会社財産に与えた危険性ということでは、むしろ軽微であったとみられるのではないか。
確かに、原判決については、脱税額より土地譲渡税額を控除した金額が、三億五千万円余と右判決に比較し高額であったことが本件被告人にはとって不利とみられる点であるが、右判決が二事業年度にわたる事実に関するものであったのに対し、本件原判決は三事業年度にわたる事実の判決であったことを考慮されたい。それと同時に、右判決のほ脱率が約八六・八四パーセントであったのに対し、本件被告人のほ脱率が約六〇パーセントという低率であり、この点において右判決の被告人と左右をつけがたい状況にある。
現在の税法違反の実務において、ほ脱税額の多寡が重要な要素となるが、それ以上に国家課税権に対する侵害の点で重要かつ実質的要素となるものが、ほ脱率というメルクマールである。そうであれば、右判決と本件原判決のほ脱率の差である約二六・四パーセントの持つ意味は、前記ほ脱税額の差を補って余りあるものといえる。
三 よって、右判決と本件原判決の被告人加藤嘉夫の間にはなんらの差異も見い出し得ず、この意味で、原判決は、被告人加藤嘉夫に対し重きに失し量刑不当といわさるを得ない。
第三 第二の例(裁判一覧表番号1)として、東京地方裁判所平成元年(特わ)第一三四〇号法人税法違反被告事件の判決主文は、
求刑罰金一億三千万円、懲役二年六月に対し、法人に対し罰金一億円、被告人に二年六月(執行猶予四年)に処すると言渡した。
一 右判決は、その量刑の理由として、
不動産の売買及び仲介を目的とする法人及びその代表者である被告人について、
1 ほ脱額(二事業年度で三億八千万円余)の多額さであること
2 ほ脱方法として
受取手数料を除外し、架空手数料を計上する等その所得秘匿の態様も多数であること
3 犯行の動機として
特に酌むべき点なし
以上、計画的で、犯情は悪質、刑事責任を軽視することはできないとのべる一方、被告人に有利な情状として
1 本件発覚後全面的に犯行を認め反省の態度を表明していること
2 修正申告がなされ、本税の納付が終了していること
3 被告人に有利な事情が認められること
が摘示され、本件事件と全く同種・同等で類似の事件であったのに拘らず、同様に被告人に執行猶予が付されている。
二 本件原判決と右判決との差異
1 右判決は、土地重課についてなんら触れることはないが、少なくとも、ほ脱金額は三億八千万円余であり、原判決のほ脱金額と全く同一である。
2 逆に、右判決の被告人は、二事業年度にわたって、本件被告人と同金額のほ脱をしているものであり、その反規範的人格態度は、形式的なほ脱金額の面からすれば、三事業年度に同額にとどまっている本件被告人に比較して悪性が高いといわざるを得ない。それだけでなく、右判決の被告人は、本税の納付にとどまり他の納税義務は履行していないが、本件被告人は、本税、附帯税及び地方税等すべてを納付して国家課税権に対する侵害を回復をしていることも重要な差異として見逃しえないものである。
3 更に問題は、国家課税権に対する実質的要素であるほ脱率の点からすれば、右判決の被告人のほ脱率は約九四パーセントの高率に及んでいるのに対し、本件被告人のほ脱率は前記の如くわずか約六〇パーセントである。
三 右判決を詳細に検討すればするほど、本件原判決の量刑が本件被告人にとって重きに失することが理解されるはずである。本件原判決の被告人に比較してより一層悪性の高い右判決の被告人に執行猶予が付されている以上、当然のことながら本件被告人にも執行猶予が付されてしかるべきである。この意味で、原判決は被告人加藤嘉夫に対し重きに失し量刑不当といわざるをえない。
第四 第三の例(裁判一覧表番号4)として、如何なる程度まで国家課税権に対する反規範的人格態度が深化した場合、実刑に処せられるかの実例として、東京地方裁判所昭和六三年(特わ)第二五七九号所得税法違反被告事件が存在する。
判決主文は、
求刑懲役二年六月、罰金一億円に対し、被告人に懲役一年六月及び罰金八千万円に処すると言渡した。
一 右判決は、その量刑の理由として、
貸金業を営んでいた被告人について、
1 ほ脱額(三事業年度で三億五千万円余)の高額さ及びほ脱率が九九・九七パーセントであること(昭和五八年以降三年間に合計五億六千万円余の所得をあげながら、昭和五八年及び五九年分については全く申告せず、同六〇年分についても二八八万円余を申告したのみで、大部分の所得を秘匿した)。
2 犯行の動機として
被告人の家族の将来や事業拡大の資金獲得を意図したが、さほど酌むべきものではないこと
3 その他の事情として
本件犯行後、個人営業を法人化したが依然として高金利による営業を継続し、当初納税の意欲を有しなかったこと。
以上、考慮のうえ、被告人の責任は重大であると述べる一方、被告人に有利な情状として、
1 本件発覚後全面的に犯行を自白して事案解明に協力していること
2 修正申告の上、本税の約八〇パーセントを納付したこと
3 金融業を廃業し給与生活者として再出発したこと
4 相当の社会制裁と本件犯行の背後には、被告人の不幸な生い立ちや身体障害者であったこと
5 風俗営業等取締法違反と競馬法違反により罰金に処せられたほかには前科がないこと
が摘示され、被告人のために酌むべき諸事情を極力斟酌しても、責任の重大性に鑑み、実刑は免れない旨を判示している。
二 本件原判決と右判決の差異
本件原判決と右判決には、ほ脱金額がほぼ同額である点で共通点を有するが左記の如く重要な点で差異が存在する。
1 右判決の被告人のほ脱率が九九・九七パーセントの高率に達し、全くといってよい程申告がされてなかっのに対し、本件被告人は約六〇パーセントの申告をなしていたこと。
2 本件被告人は、本税、附帯税、地方税の合計七億七千万円余を完納し、本件による課税権の侵害をすべて回復しているのに対し、右判決の被告人は、本税のみしかも約八〇パーセントの納付にすぎないこと
3 本件被告人は、査察後はもちろんのこと査察前においても前記福田税理士を通じ修正申告をなす予定であったのに対し、右判決の被告人は、査察後も高金利による営業を継続し、当初、納税の意欲を持たなかった。
4 本件被告人は、なんらの前科・前歴も有しないのに対し、右判決の被告人には、風俗営業等取締法違反及び競馬法違反といういかがわしい前科を有する。
三 二つの判決を客観的かつ正当に判断すれば、違法性かつ責任の両面において著しい差異がある。まず違法性について述べれば、ほ脱金額はともかくとして、ほ脱率に著しい差を見い出しうる。他方、責任の面についても、査察の前後を通じ、良き市民として国家課税権に忠誠を尽くすと同時に国家課税権に対する侵害を完全に回復させている。
かくの如き右判決と対象的な原判決の被告人に対し、実刑をもって処遇することは、国民の社会正義の理念に背反するものであり、刑罰のもつ一般・特別予防機能をないがしろにするものといわざるをえない。
○ 控訴趣意書(補充)
法人税法違反 松竹エンタープライズ(株)
同 加藤嘉夫
右被告人らに対する頭書被告事件に関する控訴の理由は、すでに本年八月一七日付で御庁に提出した控訴趣意書において述べたとおりであるが、この度新たな証拠を得たので、以下のとおり右理由を補充する。
平成二年一二月三日
主任弁護士 俵谷利幸
弁護人 神宮壽雄
同 五木田彬
同 山田修
東京高等裁判所刑事第一部 殿
記
第一点 御殿場物件に関する共同事業「降り料」としての雑収入九六八一万円の実体について
一 原判決認定の昭和六一年一〇月期の雑収入のうち、みなと建設事業協同組合からの九六八一万円は、原審公判廷において取り調べ済みの関係証拠から見ても、実質上その全てが当期の益金とは言いがたい側面を有することは、既に提出の控訴趣意書において述べたとおりである。
すなわち取調済みの関係証拠によれば、右の九六八一万円は、被告会社とみなと建設事業協同組合とが協定を結び、共同事業として地主から土地を購入しホテルを建設して売却しようと計画していた「御殿場」物件(訂正後の原審検察官冒頭陳述書物件番号二一)に関し、当初は土地を購入すればその上にホテルを建設できると見込んでいたものの、その後、右土地の特殊事情により地主名義が変われば建物建設の適格を失ってしまうものであることが判明し、不動産取引における商品価値の実際は大幅に安値の物件であることが予想される状況となったため、みなと建設事業協同組合から被告会社に対し、「協同組合としての性格上、あぶない橋を渡る訳にはいかない」との申し入れがなされ、両者協議の結果、みなと建設協同組合から被告会社に対し「共同事業降り料」(甲第一三号証、雑収入調査書二頁の手段方法欄その他)として一億円(実際金額は、九六八一万円)を支払い、その代わりみなと建設事業協同組合が右物件の購入資金としてオリエントファイナンスから借入れていた二億五〇〇〇万円を被告会社が肩代わりして以後の取引を進めていくこととなったものである(乙第三号証・被告人の検察官に対する供述調書)。
二 以上の事実からも明らかなように、御殿場物件は被告人らの計画にそぐわない欠陥物件だったのであり、それがため、共同事業者であったみなと建設事業協同組合が右共同事業から降りたいと言い出したものであって、本来であれば、御殿場物件に関する入出金は、被告会社及びみなと建設事業協同組合にとって、棚卸資産取得のための原価、すなわち資産勘定における取引であり、御殿場物件の売却その他事業の終了までは何ら損益を生じない性質のものあったのである。しかしながら、みなと建設事業協同組合が右共同事業の中途において事業から脱退するという予期しない原因によって、はからずも、御殿場物件に関する損益の一部が、事業終了以前の段階、すなわち右物件に関する本来の全体的損益が実現していない段階において、九六八一万円の雑収入という形骸のみが残ってしまったものと言い得るのである。
三 そしてこのように、御殿場物件に関し、みなと建設事業協同組合が危険性の高い事業と考え、一億円もの「降り料」を支払ってまで共同事業から脱退したいと判断したこと、及び、これを引き受けた被告会社において、現在に至るも同物件の売却ができないままでいることなどを見ると、昭和六一年一〇月期の時点において、予期していなかった事情から実現してしまった「部分損益」において、九六八一万円の雑収入があったとしても、将来実現することとなる御殿場物件の「全体損益」においては、赤字となる公算が極めて大きかったと言わざるを得ないものであった。
四 以上が、原審公判廷で取り調べ済みの関係証拠から認められる事実とこれに基づく推論であったが、最近、御殿場物件に関する不動産鑑定が得られ、右推論が実証されるに至った。
すなわち、御殿場物件に関し不動産鑑定士齋藤政夫が作成した不動産鑑定評価書によれば、本年九月二五日の価格時点における右物件の鑑定評価総額は、一億七七七三万一〇〇〇円に過ぎず、また、昭和六一年九月二五日の価格時点における同物件の鑑定評価総額は、一億五三三一万八八九〇円に過ぎないのである(右鑑定評価額については控訴審にて立証予定)。
右不動産鑑定評価書には、本年三月二三日付で国土庁土地局が作成した地価動向特徴に関する資料が添付されているが、右資料によると、昭和六四年一月一日から平成二年一月一日までの一年間における地方圏での地価動向は「著しい地価上昇又はかなりの地価上昇を示した地方都市もみられたが、それ以外では、やや上昇の兆しがみられる地域もあるものの、概ね安定的に推移した」と総括され、各論的に、著しい地価上昇がみられた地方圏のひとつとして静岡市等が挙げられている。
このことから見ると、本件の御殿場物件を含む御殿場市の地価は、右期間中、すくなくとも安定的に推移したと判断することができる上、過去において日本国内の地価が下落したことがないのは公知の事実であり、右御殿場物件が昭和六一年一〇月以降現在まで、いわゆる「塩づけ」になっていることから見ると、同物件に関する前記各不動産鑑定評価額は、妥当なものと言えようし、少なくとも、昭和六一年一〇月期の同物件の評価額は、本年九月二五日の価格時点における評価額一億七七七三万一〇〇〇を下回ることはあっても、上回るものでは決してなかったと言わなければならない。
五 こうした鑑定評価額に基づいて、御殿場物件に関する被告会社の全体損益を検討してみると、右損益が大幅な赤字となっているのは明らかである。
本件御殿場物件に関する共同事業なるものは、被告会社が同物件の所有者である片倉物産と協定を結び、被告会社と片倉物産との共同事業として同物件上にホテルマンションを建築し売却することを計画し、右物件の価格を五億二一二四万六〇〇〇円とした上、被告会社が片倉物産に対し土地代金の内金として先ず二億五〇〇〇万円を支払い、右共同事業による利益が生じた段階で土地残代金を支払うというものであり、被告会社と片倉物産の右協定締結後、いわば被告会社側の共同事業者として参加したのが、みなと建設事業協同組合であった。
その後前記の経緯により、みなと建設事業協同組合が右共同事業から離脱したわけであるが、被告会社は、昭和六一年一〇月期中に、みなと建設事業協同組合に対し、前記借入金の肩代わりとしての二億五〇〇〇万円のほか諸経費等の合計二億九一六〇万一六一六円を支払っており、これに対し、被告会社が同期中に御殿場物件に関して得た収入及び資産は、前記の雑収入九六八一万円と同物件の評価額一億五三三一万八八九〇円の合計二億五〇一二万八八九〇円であり、従って、御殿場物件に関する被告会社の全体損益は、すでに同期末の時点において四一四七万二七二六円の赤字となっていたのである。
さらに被告会社は、その後昭和六一年一二月に、。片倉物産代表取締役の近藤弘より依頼を請け、被告会社振出の約束手形二通(額面金額合計二億円)を渡したことがあった。
被告会社はこれまで支払手段として手形は使用しておらず、近藤弘より、銀行に預けておくだけで割引はしないから手形を貸してくれと懇請されたため、被告会社の取引銀行より手形用紙を二枚だけ受領し、前記約束手形を振出交付したものであったが、約束に反した近藤は、右手形を割り引き、運転資金に費消してしまった。
そのため被告会社は、昭和六二年三月末及び四月末の二度にわたり、右手形決済のため合計二億円を支出せざるを得なくなり、しかも同年四月末に右近藤が死亡してしまったので、右二億円は片倉物産に対する御殿場物件の土地残代金の支払として処理するの已むなきに至った。
右二億円の支払を加えると、現在までに、被告会社が御殿場物件に関して支出した金額は合計四億九一六〇万一六一六円となり、これと前記雑収入の九六八一万円と本年九月二五日時点の同物件の評価額一億七七七三万一〇〇〇円とを対比した全体損益は、二億一七〇六万六一六円の赤字になることとなる。
結局、昭和六一年一〇月期の被告会社において御殿場物件につき棚卸資産の評価減が存したことは明らかであり、同期末にこのような決算処理を行えば、九六八一万円という雑収入も被告会社の同期末の期間損益計算の中で解消され、かえって四一四七万円余の損失が生ずるものであるから、所得全体が一億三八〇〇万余り減少することとなり、税額においても五〇〇〇万円程度が減少し、本件のように予期せぬ一部損益のみが突出することはなかったと言えるのてある。
六 もちろん、被告会社は右雑収入を公表より除外しているのであるから、これに関する期末棚卸資産の評価減を計上するはずもなく、その不利益はひとえに被告会社及び被告人に帰せられるべきものであろうし、現在も御殿場物件は売却されず、したがって同物件に関する全体損益が前記二億円余の損失と確定したものではなく、さらに、弁護人としても期間損益の原則を無視している訳ではないのであるが、前記の経緯に立脚して本件の雑収入九六八一万円の性格を考えると、右雑収入は、御殿場物件に関する未実現の損失の一部を、みなと建設事業協同組合が負担したものに過ぎず、故に、必ずしも被告会社の実質所得が形成していないという側面があることが否定できないのであり、その点を情状として御斟酌いただきたいと願うものである。
第二点 被告人加藤嘉夫の情状について
被告人加藤嘉夫が第一審実刑判決の言渡しを受け、控訴申立に及びながらも本件犯行を深く反省し、改悛するとともに、自己の能力の限界にまで贖罪に努める決心していることについては、控訴趣意書記載のとおりである。被告人の最近の情状、贖罪の実践等について補充する。
一 同被告人は、控訴趣意書提出後、贖罪のための資金捻出につとめ、自己の資産を処分し、金融機関より融資を受けるなどしてようやく資金を造成し、これを公共性の高い法人、施設等を選んで寄付をした。
二 また、業務の余暇を縫って東京都内の更生保護施設を訪問し、被収容者の保護されている実情を見分し、更生ぶりを見てこれを励まし、職員から指導を受けるなどの活動を実践している。この活動について、被告人はその意義を自覚し、今後も永く続けてきくことを固く誓っている。この点については、被告人の妻女、家族もよく理解し、被告人の活動に協力し、被告人の更生を願っている。
三 被告人は、第一審判決を機として、自己の職業について、その社会的意義についても、一層自覚を深め、責任の重きを感じている。自分の企業家としての能力を十分に発揮して、意義のある仕事を行い、会社の業績をさらに高め、社会にも奉仕、あるいは還元をはかるべきとの考えから、日常の業に全力を盡している。
以上の諸点の詳細については、被告人自ら記した上申書記載のとおりである。弁護人において、その実施、実践の状況を、視察し、ときに指導しているところであるが、同上申書を援用して本趣意書の記述にかえる。被告人加藤は、深い改悛の上に、着実に更生の道を歩いていることが認められるのであって、裁判所におかれては、さらに今後の情状をも洞察され、御英断をたまわりたいものと思料する。
別紙
上申書
加藤嘉夫
一 第一審の判決に際しましては、寛大な判決をいただけるかと淡い期待も抱いておりましたが、実刑判決の宣告を受けました。そのときには、一瞬茫然としてしまい、やがて膝ががくがくふるえて足場も失ったような気分となりました。身も心も凍え、しびれるほどに厳しい電波が脳天から爪先まて貫通するような、はっきり言いあらわすこともできないような状態に置かれました。しばらくは、身も心も、動きが地に着かず、宇宙遊泳のように不安定な世界に投げ出されたような時間が経過して行きました。
税法違反、破廉恥罪ではない、泥棒なんかではない。実刑になることもあるまい、刑務所に入るようなこともないだろう。それが執行猶予がつかなかったという現実に立たされてみますと、今まで、自分が何とかなるだろう、正直に事実を述べていることだから、逮捕もされなかったことだし、などと良い方に、甘い方に考えが向いていた自分というものを見つめはじめました。自分の行為に対する法の裁きだから、天命やむを得ない、刑に服すべきだと思うものの、妻子と会社の社員の訴えを耳にいたしまして、ともかく、家族や会社のことを考え、実刑をさけたいものだと思い至りました。その結果控訴を申し立てたのでありますが、さらに日が立ち、弁護人の先生方の話を聞いているうちに、執行猶予になるにはとか、実刑になったら、とかいうことを自分なりにしずかに考えてみました。執行猶予の恩典をもらうにはどうしたら良いのかと考えることも、私の頭ではむつかしくなりました。一方では、私の税法違反というものの意義、その責任というもの、社会が税法違反といえども普通犯罪以上に悪性なものと厳しく考えるようになっているのだろうかとか、不動産業者の違反というものをどう考えているのだろうかということも考えてみました。新聞でいわれているように、不公平で不当な金儲けをしていると世間の人に思われているのだろうか。私の真実はどちらでもなかったのですが、世間からそのような目でみられていることも事実であろうし、税を免れたことも事実ですから、社会の評価は別として、また、私の事実の責任がどの程度かは別として、社会に損失や迷惑をかけたことは間違いないところだし、その責任を償うことは当然であろうということを深く思うようになりました。
弁護士の先生方に、贖罪によって罪が軽くなるのでしょうかということも聞きましたが、よくよく反省してみますと、私は仕事は一生懸命やり、よい家庭を作ろうと努力はしたものの、今まて世の中のためになることや、人たすけをするようなことは、あまり心掛けていなかったと思います。社会や国家のために奉仕するようなことは、ほとんど考えなかったといってよいほどでした。また、このままては、一生、世のためになることは何もしないまま人生を終わってしまうことになるのではないか。深く思うほどに、刑を軽くしてもらいたいということとは別に、私はこんな機会にでも、多少でも世のために、今までお世話になったお返しをしないと、一生なすべきことに気づかないで、することもしないで無意義に人生を徒過してしまうことにならないか。そうしてみると、贖罪ということを考える今の境遇も、神様が与えてくださった機会ではないか、大きな意義があると思わなければならない。自分で、贖罪、ひいては善行を積むことがこれまでの自分のあり方をかえ、社会で生活する人間として当たりまえのことを実行し、多少でもましな存在になることができるのではなかろうか。こうしてみると、贖罪は自分を更生させる行いであるし、そうでなくてはならないと思っています。私は、弁護人の控訴趣意書を読み返して、自分の責任を果たそう、少しでも、自分のできる範囲で、社会に寄与できることを実践しようと思い至りました。
二 十月一日は「法の日」だということでした。裁判所や法務省がきめたということですが、その深い意味は分かりません。私なりに、「法」や「社会の定め」を守る記念日だと理解しております。社会に対し、公共的な寄付行為をするにつきましても、銀行から借入れをしたり(今銀行は裁判中のものにはほとんど融資してくれません。土地不動産を担保にしても借入れはむつかしいのです。ノンバンクからの借り入れは金利が大変高いし、担保もきついのです。今度の資金の返済には二〇年の月日がかかります。)株などの資産を処分したり、資金準備に手間と時間がかかりました。やっと「法の日」に間に合わせることができました。すでに、本件にかかる本税、地方税、重加算税、延滞税のすべてを完納いたしました後のことですので、私の意気込みにもかかわらず、私の郷里の山形市の更生保護法(羽陽和光会)、日本赤十字社、東京芸術大学の奨学資金の三者に、合計五千万円の寄付をすることができたにとどまりました。
私は、財団法人の日本更生保護協会が、刑余者や非行少年の保護更生をはかるための組織であることを知り、その施設や事務所も見学し、社会に大きな貢献をしていることを学びました。実際に刑務所や少年院からもどってきた人達を収容している保護会も見学して、職員の方々の真剣な仕事や活動ぶりにも感銘を受けました。
日本更生保護協会のお手伝いの一端でも担いたいと思って、六月にはその賛助会員に入れてもらいました。七月になって、山形市の羽陽和光会が全面的に改修工事をする計画だと知りました。その設備が老朽し、担当に汚れていることにも心に感じるものがありましたが、私の郷里の保護会ですので、この施設の改築改善に協力できるなら、多くの人の更生に役立つものなら、この際、寄付をさせてもらいたいと思って、この保護会に寄付することに決めました。
日本赤十字社につきましては、国の内外でのいろいろな種類の赤十字活動とその実績をマスコミなどを通じて知っていました。その活動基金に協力したいと思って担当の谷匡夫振興部長、小杉正明課長さんに会いました。お二人とも、たまたま同県出身の方でしたが、日赤や日赤の仕事の内容などについて説明をしていただきました。日赤に寄附することは、世のためになることだと納得できましたので、決心いたしました。
平山郁夫先生に奨学基金が東京芸大にあり、その基金や平山先生が自己資金を寄附して創められたと美術学部の安藤事務長さんに教わりました。平山先生が画家、芸術家として日本の内外で活躍しておられることは、新聞、テレビなどで知ってはいました。外国で取材や研究をされるのに、ほとんど個人の資金を使っておられるらしいということや、外国の古い遺跡や分化の保存に熱心で、保存の財団を作ったりして、それにも私費をかなり使っておられるとか、外国からの留学生や研究員の人達の面倒をみておられるという話も聞いていたのですが、制度的に奨学基金を創めておられるということを知り、その基金に協力できることになれば、これまで、およそ文化と縁遠い世界にいた私にとっても意義のあることだと思いました。こんな感じから、芸術大学の奨学金に寄附しようと思い立ったのです。
三 このようにして、十月一日、私個人の罪の償いの思いを込めて、また、会社の責任ということも感じながら、公共的な寄附をいたした訳であります。しかし、その過程で、苦労して捻出した資金であっても、寄附だけでは寂しい気もいたしました。実際に寄附金を作るとなるとむつかしいものですが、今の世の中では、金銭を万能視する風潮もあり、また、それを批判するムードもあります。このような風潮と関係なく、私は、寄附以上に、自分でできる範囲で、自分の心や肉体を動かして実際に社会に奉仕することも、意義あることであり、自分の大切な勉強にもなり、今後誤りのない人生を送るのに役立つことではないかとも考えておりました。そこで、弁護人の先生とも相談し、保護会、保護観察所の職員の方とも連絡してもらい、都内の保護会に行って、職員の方々の仕事ぶりや更生の道を歩いている少年や刑余者の姿を実際に見、話を聞き、私の反省と勉強の資料にさしていただくことにいたしました。冷暖房や扇風機もない、三人~四人一緒の畳敷きや二段ベッドの室を見て、更生の道の険しさを目の前に見ました。質素な夕食の様子も知りました。それらの大きな部分が、民間ボランティアの寄附や篤志から成っていることも知りました。職員の方々が就労条件の悪い保護会で働いていること、隣、近所にも小さなことにも大変気をつかいながら、親切に、根気強く指導し世話していることも実際に見ました。このような保護会の実際をみて、私も出来るなら少々のお手伝いや、志の一部でも表わして、少年達や刑余者の人達、職員の方々に力ぞえしたいと身にしみて思いました。
このような実際の思いから、十月以後、月に二回程度、都内の数施設をまわって、志の一端をもって奉仕したいと考えています。十月に始めたこの保護会訪問で得た体験は、心に喜びを与えてくれましたし、社会人として、やっても良いこと、できるかぎり実行すべきことではないかと思っておりますので、私としては、自分の健康、時間や資力など生活の余裕が許すかぎり永く続けようと決心いたしております。
四 更生保護会を見学し、皆さんのお話を聞いているうち、びっくりするようなことがありました。保護観察所から、今日どういう罪で釈放される人がいる、拘置所からでてくる人がいる、その人を受け取ってほしい、などという連絡がくるというのです。また、会にいる人達の成績を役所に報告するというのです。この連絡を受けたり、報告をするのに、当然、ワープロがあり、ファクシミリがあって、はやく正確に連絡がされていると思ったのです。ところが、驚いたことに、ワープロがない、リコピイがない、ファクシミリがないので、手書きをしたり、郵便で出したり、しているということでした。問題の人が役所の通知より早くきたり、役所への通知が遅れて保護会からさる人が先に出ていってしまったり、ファクシミリの機能が悪く、送信の片半分(半面)しか送れず、半分づつ送っています。などという話を聞いて、こんなことでは仕事にならないだろう、よく我慢しているものだ、と思ったのです。ボランティアの寄付で会の運営費をまかなっているので、食費その他の手当をしていると、とても、ファクシミリには予算がまわせない、と言われるのです。私は、自分のことは棚に上げて、思わず、何てことだろう、何とかしてあげねばという気持ちになりました。そして、調べてもらったらファクシミリのない保護会、故障して使いものにならないファクシミリがおいてある会が、東京で十か所あるというのです。私も、個人としてはむつかしいので、会社(松竹エンタープライズ)も社会にサービスすべきものと考えていましたので、会社として十カ所の保護会にファクシミリを提供させていただきました。実情をうかがって、私の心が許さなくなっておりました。
五 仕事面でも許されるかぎり全力を盡したい思っています。昨年の夏、浅草の正法寺の住職さん(佐野詮学師)と知りあったのですが、最近、都内に住む人で、墓地に困っている人が沢山いるので、現在の墓地の一部を提供し、その上にお墓の置けるスペースを作る、いわば、お墓のマンションを分譲するようなことにすれば、墓地を求めている人達の安心となるのではないか、というお話を聞きました。デベロッパーとして、こういう仕事は、人々に喜んでもらえるものではないかと思いましたので、お寺さん、私、知人で私の理解者でもある日興エンタープライズ株式会社の代表取締役田村正敏社長、ゼネコンの熊谷組東京支店などで協同してその仕事をしたいものと考え、九月一七日に、正法寺がお寺の敷地約一、五〇〇平方メートルを提供し、鉄骨鉄筋コンクリート造地上九階建の建物を建て、墓地、事務所、寺院に当て、私(松竹エンタープライズ社)、日興エンタープライズで資金を調達、建築し、墓苑を永代使用料をとって分譲するなどの契約を締結いたしました(正法寺聖苑事業協定書)。担当に大きな資金のかかる仕事で、困難もあろうかと思われる事業でありますが、この大手のゼネコン会社も積極的で関係者の合意ができておりますので、固い決心をもってこの仕事もぜひ完成させたいものと張り切っておりますのが現状であります。
六 私には持病があり、必ずしも健康がすぐれておりませんが、社会奉仕に心掛けるべきだ、罪を償うべきだと思っておりますと、使命感が肉体を励ましてくれるようであります。健康、病気に気を配りながら、裁判を受け、社会人として立ち直りたいと期しております。最近の、日韓、日朝、イラク、中東など世界の政治経済の動き、国内の経済の動きなど、変化と進展がはげしく、とても私にはどうなることかわかりません。不動産業がどうなっていくかもよくわかりませんが、多くの人の倖せになるようにと、及ばずながらも思いつつ、誠実に仕事をし、納税はじめ国民としての義務も正しく果たしていくつもりです。このことは、会社としても同様てありますが、会社も社会的存在として、社会にも貢献したいと思っております。この裁判を機会に、信頼できる税理士さんらの指導を受け、経理事務の体制をととのえ、事務の遂行処理を法律に則した適正なものといたしております。
二度と税法その他の面で不正な誤りを侵すことがないことをお誓いいたします。
付記
一 私が訪問した保護会名(月日)
1 財団法人斉修会 平成二年一〇月三日
新宿区百人町一丁目四番一二号 〇三-二〇〇-七一五一
2 財団法人新興会 平成二年一〇月三日
豊島区千早町一丁目三六番二〇号 〇三-九五七-二八九一
3 財団法人真哉会 平成二年一〇月一五日
足立区足立二丁目五一番六号 〇三-八八六-二五九一
4 財団法人静修会(足立寮) 平成二年一〇月一五日
足立区小台二丁目四三番五号 〇三-九一一-三三七七
5 財団法人静修会(荒川寮) 平成二年一一月三日
荒川区荒川四丁目一七番一号 〇三-八九一-二三一六
6 財団法人東京実華道場(墨田補導所) 平成二年一一月三日
墨田区業平二丁目一〇番地一一号 〇三-六二四-二七三五
7 財団法人東京保護観察協会(敬和園) 平成二年一一月一四日
中野区江原町二丁目六番五号 〇三-九五一-七六六九
二 ファクシミリを届けた都内の保護会名
保護会名・所在地・電話番号 責任者(理事長)
1 財団法人興楽会
〒174 板橋区常磐台三-一三-五
〇三-九六〇-〇二〇四 名神吉孝
2 財団法人慈済会
〒116 荒川区町屋七-一一-七
〇三-八九二-四七五〇 河本英純
3 財団法人新興会
〒171 豊島区千早町一-三六-二〇
〇三-九五一-二八九一 青木博一
4 財団法人真哉会
〒120 足立区足立二-五一-六
〇三-八八六-二九五一 池原富貴夫
5 財団法人静修会(足立寮)
〒120 足立区小台二-四三-五
〇三-九一一-三三七七 福田きくの
6 財団法人静修会(荒川寮)
〒116 荒川区荒川四-一七-一
〇三-八〇三-四五九八 福田喜代子
7 財団法人善隣厚生会
〒151 渋谷区本町二-四七-五
〇三-三七七-三七〇五 鄭順相
8 財団法人自愛会
〒192 八王子市子安二-一-一
〇四二六-四二-四九四一 鈴木淑子
9 財団法人日新協会
〒116 荒川区東尾久二-二三-二一
〇三-八九二-二四三一 吉田正雄
10 財団法人両全会
〒160 新宿区信濃町二七-五
〇三-三五一-二五八三 福原忠男